芥川賞のとりかた

「芥川賞のとりかた」で始まる本日の新聞のコラム(2024年2月2日山陰中央新報)に思わず目を止めた。

「私は現時点で、世界でいちばん芥川賞のとりかたを知っている人間であろうと思われます。」

と続くと、どこかでその言い訳もしくは理由が述べられて、ははあ謙遜の逆の手口で読者をひきつける気だなと想像します。

しかし、その先の文章を読むとどうもそうではなくて、筆者は本気でそのように思っているらしい。具体的に、芥川賞の取り方が述べられている。

「最もオーソドックスなのは、新人賞に投稿し、約2千の応募作の中から審査員に認められて受賞すること。」

「晴れてデビューしてから、編集者は仕事を辞めないようにすすめるけれども、芥川賞をとることが目的ならば仕事は辞めたほうがいい」

「きっぱりと仕事を辞めたあとは、それまでに築いたすべての人間関係を断ち切り、元の世界へ戻るためのあらゆる逃げ場をなくす。」

「自分がかつて人間だったことも忘れ、24時間、眠っているあいだも絶えず純文学のことだけを考えること。」

「自分の出力する言葉のひとつひとつが、余すことなく芥川賞へとつながっているかどうかを、常に意識し続けること。」

「そうして気づいた時には自然と、芥川賞が取れているはずです。」

「これが最新の受賞者が実践済みの、芥川賞の取り方です。」

「もちろん芥川賞がとれたからといっていちど決別した世界は二度と戻ってきません。その代わり、いつでも何度でも自分の手で自由に世界を作り変えることができるのです。」

どうでしょうか。『生成AI時代の予言の書』とも言われ、2024年1月に第170回芥川賞を『東京都同情塔』で受賞した九段理恵さんのエッセーです。

あさはかな“手口”などではなく、本音でそのまま思っていることを書いただけのエッセーなのでしょう。思わず読まずにはいられない、小気味よい文章でした。