40年前の感動を再び「荒神谷発見!」

40年前の感動がよみがえってきました。

1984年の7月12日に荒神谷の銅剣が発見されてからちょうど40年、記念の企画展「荒神谷発見!」が7月12日(金)から島根県立古代出雲歴史博物館で開催されています。

会場に入って最初の展示は、山陰中央新報の7月18日のトップ記事。発見から6日後に大量の銅剣が埋蔵されているらしいことがわかり、“大発見”として紙面トップを飾っています。

続いて、発掘調査の調査日記。

7月12日のページには、「第8(試掘坑) 南側斜面に設定。斜面下半と一番上から掘り始めたところ、下側で午後4時頃銅剣出土。鍬で掘り下げ中で、5~6本が重なっているのが判明。銅剣と判明してただちに文化課に連絡、石井係長くる。(記入者:足立)」

世紀の大ニュースの始まりでした。

整然と並べられた銅剣は、合計358本。翌年には銅鐸6個と銅矛16本が出土しました。

展示では、荒神谷出土の青銅器(国宝)のほか、「出雲の弥生文化」として弥生時代の出土品が数多く展示されています。国家が統一されて律令時代に移行する以前、弥生時代の人びとの生活、文化については不明な点が多く、とりわけ出雲地方と大和地方との関係、荒神谷にこれほどの大量の青銅器が埋められた理由、これらの青銅器はどこで制作されたのかなど、依然として謎の多い時代です。

銅剣や銅鐸の復元過程も説明されていますが、現代の技術をもってしても当時の青銅器の鋳造技術は簡単には再現できないようです。

当時、島根県文化財課に出入りしていた筆者は、発見から1週間目に現地を見せていただきました。弊社でその調査第一報、「荒神谷遺跡概報」という報告書を作らせていただきましたが、全国から注文が殺到し、通常の報告書は数百部作成するところ増刷を繰り返してその10倍の注文が寄せられました。概報はその後「概報2」と「概報3」が発行されています。

歴博で7月の大型企画展は珍しく、観覧した当日は月曜日でしたが、家族連れや旅行者らしき人も多くにぎわっていました。

企画展の展示期間は9月8日(日)まで、ぜひご覧ください。